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サクブンチョウ

生活と音楽と物語と

きのこ帝国は死んだ?

きのこ帝国の新譜について色々な声を聞く。その大半が動揺しているような印象を受ける。半ば否定的なものも見えてくる。
 
けど、僕はそんな悲観することではないように思う。確かに違っているけれど、それはメジャーへの迎合ではない。
 

実はきのこ帝国の新譜ちゃんと聞いてないから、なんとも言えないのだけれど、「猫とアレルギー」「怪獣の腕のなか」を聞いた限りでは、また新しいことを表現しようとしてるんだなあ、と思っている。

 
 
 
どこかのインタビューで佐藤ちあき自身も言っていたと思うが、eureka、ロンググッドバイまでは喜怒哀楽の怒哀を、そしてフェイクワールドワンダーランドでは喜楽を、表現していた。
 
怒哀だからこそあの底から叫ぶような歌い方やシューゲイザーであり、喜楽としてのフェイクワールドの爽やかさや明るさ、なのだとおもう。
 
ポップスがやりたい、ポップスを優先している、ってわけではないのだ。現に東京も桜が咲く前にもマイナーコードの進行である。
 
 
んで、今回の新譜だけど、これは喜怒哀楽をすべて包含するもの、を表現しているのではないか、と思う。 
それはすなわち「愛」である。
 
愛=包摂であるとしたら、爪を立てたり駆け抜けていったりする楽曲はそれにそぐわない。穏やかであり、優しさや諦念、哀しさなど全てを包み込む表現が求められる。
 
その結果としての猫とアレルギーであり、それは攻撃性を限りなく隠し耳触りのよさを追求したのではないか。だから一聴して時に、非常にjpop的な印象を受ける人が多いのではないだろうか.
そしてきのこ帝国の音楽ではなく,攻撃性が好きだった人にとっては新譜はひどくつまらなく映るのかもしれない.映る,というより,聞こえる,のが正しいのか. 
 
そして,この曲でもテーマは一貫している.
 
これは私の勝手な妄想であるが,この歌詞でこそ彼女らが今回のアルバムで表現したかったものなのではないだろうか.喜怒哀楽を全て乗り越えた上での包み込む愛.それは何かを壊して否定するわけでもなく,何かから身を隠すわけでもない.
 
その1つの答えとして,純粋に内部の白をさらけだした上で,補い包み込むことことであるのではないだろうか.
 
そんなことを怪獣の腕のなかを聞きながら思う.
 
怪獣の腕のなか 凍える心をあたためさせて もう、傷つけるための刃など あなたには必要ないんだよ
 
怪獣の腕のなか 笑っちゃうくらいに抱きしめるから 誰かを拒むための鎧など 重たいだけだから捨てましょう
 
長くなってきたので、端的に言うと、新譜はメジャーレーベルへの迎合(多少はあるだろうけど)ではなく、きのこ帝国的に一つの新しいテーマへ進んだのであり、今までとなんらやっていることは変わらないんじゃはないか、ということである。
 
ただ怖いのは,愛を表現してしまったらその先では何をテーマにするのだろうか.
その先には死が待っているのではないか.
 
妄想が過ぎてしまった.
 
きのこ帝国むしろ進化している.し.欲をいえばお金ないけど新譜欲しいですってことです.