待つことと想像すること
2017年1月24日
待つことは想像することなのかもしれない。
だから待つことは苦手だ。想像してしまうから。
朝の後に昼が来て、それから夜が来る。
冬の朝の水はとても冷たい。
ギターを弾くと音がする。
悲しい気持ちだと涙が出る。
薬指より人差し指が短い。
男の子と女の子。
自己と他者。
当たり前のことを並べていると安心する。
それから、文章を書いていると安心する。
ここ数日は色々なことがあった。
ジェットコースターみたいだ、なんて思ったらお洒落だけれど。
そんなことはなくって、強いて言えば、深夜の高速バスだ。
車窓の景色は、ちょっと眠っている間に変わっていて、さっきまではあんなにキラキラしていたのに、いつの間にか真っ暗になっていて。
「ああ、トイレに行きたいなあ」なんて思いながら、腰を捻っている。
このバスが行く先はわからないし、自分が運転手なのか、あるいは、お客さんなのかわからなくなる。
いや、どっちにもなれるのか。
運転手になってしまえばいいのだ。
橙の淡い電灯の廊下をふらふらと歩いて、一番前まで歩いて行って、運転席に深く座って、ハンドルを握って、バスを動かす。
そのままライトをつけて、高速を降りて、進路を変えてしまえばいい。ここからどこに向かうのも、僕が全部決められる。
頭の中では簡単なのに、如何にもこうにも足がすくむ。
その弱さに頭が痛くなってくる。
だから私は文章を書く。
言葉はこの世界で一番強いと信じているから、私は文章を書く。
ああ、相変わらず、自分のために文章を書いてしまったなあ、と思いながら、換気扇を回す。
タバコのヤニが歯についてベタベタする。歯磨きをしよう。