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サクブンチョウ

生活と音楽と物語と

ステージを変えよ、そのスピードで

ニーゼロイチナ

2017年はアキラの年だったし、私が生まれて23年、 キリストの生誕から考えるとちょうど2017年だし、鎌倉幕府ができてからは、えーと、825年だ。 そう考えると2017年は特別な1年であった。 2018年はキリストの生誕から2018年で、鎌倉幕府ができてからは826年である。 2018年も特別な1年であることは間違いない。

特に何か伝えたいことがあるわけではいんだけれど、悶々とした何かを文章にしたい時がある。 というか伝えたいことがはっきりしていたら、こうやって大海にゴミを投げるような行為はしない。伝えたい人に、伝えたいことがしっかり伝わるように何かをするだろう。

2017年はいろんなことがあった。 恋人ができて、 引越しをして、 社会人2年目になって、 骨折をして、 フジロックに行って、 少し仕事の幅も広がって、 それから少し停滞があって、 一般的に見れば多分に早い転職を決めて それから恋人と別れた。

螺旋的に進んでいたはずなのだが、ループしているような感覚がある。2017年はゆっくりと過ぎていった感覚がある。

それは、きっとステージが変わらなかったから。

2016年の自分よりは人間的な成長をしている(人の悲しみがわかるようになったことは大きい)し、多少はマーケティングや企画のスキルもついた。

とはいえ、ステージは一緒だった。 2016年と同じ大きさで、いつもの観客数で、いつもの立地で。 演目は増えたし、演出の質も上がった。もしかしたら昼夜2公演やる体力もついたかも知れない。

けれど、見える景色は一緒だったのだ。 このステージが嫌い、なんてことはもちろんなくて、最高に楽しかったし学びもあったし、まだまだ学べることはあると思っている。

だからこそ、2018年はステージを変えたい。

ステージを変えるということ

それは自分が大切な人たちとこれからも一緒にいるためであり、 この先も楽しいな、って生きていくためである。

一緒にいるには、同じ(もしくは近い)ステージに立っていることが必要で、 楽しく生きていくには、ステージが変化することが必要なのだ。 (注記のように書いておくが、楽しく生きる≠楽に生きてる、ではない。楽に生きるにはずっと変わらないことが不可欠だと思う)

たかが世界の終わりでテーゼはあったし ソラニンにもそのテーゼはあった。 モテキだってそうだし、秒速5センチメートルもそうだ。 もしかしたら、大半の物語は上記2点が(あるいはどちらか)が満たされないことが起因となっているのではないだろうか。

たかが世界の終わりは、1人、ステージが変わってしまったために一緒にいれなくなってしまった家族の物語であり、 ソラニンは誰もがステージを変えたかったけれど、皆に勇気がなかった青年の物語である。

どちらも本当に好きで愛おしい物語だけれど、私はその物語をなぞりたくはない。

孤独は嫌だし、停滞も嫌なので、 ステージを変えていくしかないのだ。 私の友人 / チームたちがステージを変えていくように。 そのスピードで。

変わっていくことで失ってしまうこともあるけれど、 変われないことで失ってしまう方が悲しいので。