4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17

サクブンチョウ

生活と音楽と物語と

引越という病

2017年1月15日

寺山修司と引越

寺山修司という劇作家・詩人をご存知だろうか。

教養のある人間、あるいはサブカルと揶揄される何か、の人たちは既知の人物だろう。

信仰している人間も少なくないのかもしれない。

 

そしてこの文章を読んでくれている物好きは、上記のどちらかに当てはまるに違いないので、名前を出している、というわけである。

 

さて、この寺山修司、引越好きだったと思われる。「哀しき口笛」にそれを示唆する描写があるのだ。

 

まあ、彼のことだから、どこまでが真実なのかわからないし、インターネットで検索しても、そんな情報はない。

 

それでも私は彼が引越好きだったと信じることにしている。

 

なぜか。

 

私も引越が好きだから、ただそれだけである。

寺山修司が引越好きなら、この無駄に金も手間もかかる行動を何度も取ってしまう悪癖が少し肯定されるような気がしている。

 

引越は病であり、依存であり、趣向である。

 

この世に暮らす人々は大きく2つに大別できる。

引越が好きな人、と、引越が嫌いな人である。

 

後者は驚くほど引越をしない。

1つの街の1つの家に何年も住み続けることができる。

いわば耐久の鉄人である。

 

対して前者は、すぐに居を移す。

何かと理由をつけて引越するものもいれば、

理由もなく家を移してしまう人もいる。

言ってしまえばこれは病気である。

 

直しようがない病気である。

 

新しい街での暮らしに夢をはせ、

 

ああ、あの街で暮らしたらどんな生活が待っているだろう、帰り道にはどこへ寄って、春には何々をして・・・

 

そんなとりとめのない妄想を何度も繰り返すのだ。

 

引越病の原因

あらゆる病には根本的な原因があるので、

引越病にも根本的原因があるのではないか、と考えた。

 

あるとすると、その原因は、

「思い出からの逃避」なのではないだろうか。

 

 

ある街に住んで、その部屋で生活をしていると、街にも部屋にも至るところ、(例えば駅のホームとか、本棚の下から3段目の1冊の本とか)に思い出が潜んでいる。

 

仕事帰りの悔しい気持ちで読んだ一節とか、

 

恋人からの連絡を無視して、他の女の子と手をつないだ部屋とか、

 

3年ぶりに会う友人と飲んだコーヒーの店とか、

 

隣の席のおじさんと12時まで語り込んだ居酒屋とか、

 

洗濯機が壊れて寒い夜に両手いっぱいに洗濯物を抱えて向かったコインランドリーとか、

 

別れ話を切り出された、最寄駅から徒歩5分の小さな喫茶店とか、

 

好きな人となれない街で終電を逃して、ドキドキしながら階段を上ったあのバーとか、

 

そんなようなありふれた思い出が溢れている。

引越病あるいは引越病予備軍たちは思い出が溜まりすぎると、その重みに耐えきれなくなり、どうにかこうにか逃げたくなってしまう、のではなかろうか。

 

新しい部屋で、新しい街で、新しい匂いの中で、まっさらになったような気持ちを味わいたくなってしまうのだ。

 

そう考えると、引越病を発症する人間は、重度のメランコリニスタなのかもしれない。あるいは、自ら、大小様々な思い出に押しつぶされにいくほどに、感傷中毒なのかもしれない。

 

 

 

などと、つらつらと書いたが、単に飽き性なだけであるのかもしれない。

 

 

とはいえ、結局引越病を発症してしまう人間は、どこかが破綻しているのだけは間違いない。

 

付き合うなら引越病でない人間がいいのだろう。

 

さあ、もう直ぐ引越だ。

 

Re:

2017年1月9日

 

あけましておめでとうございます。

 

新しい年になってから、まだ1週間だった。

学生時代とは時間の流れがすっかり変わってしまったのだと気がつかされる。お正月なんてひと月以上前のような気持ちである。

 

こんなに時間の速度が速くなったのは、1年前に比べて追ってくるものが増えたから、なんじゃないかと思っている。

 

町内会のしょぼいマラソンを悠々と走っていたのに、

気がついたら東京マラソンに出ていた。

 

後ろからは「何か」がたくさん迫ってくる。

自ずと焦って、速度が上がってしまう。

バテてしまって捕まるか、逃げ切るか。

 

しかもさらに厄介なのは、

追ってくる「何かたち」に捕まらないように走っていたら、道がわからなくなってしまった。私が走りたかったコースはここであっているのか。あまりにも人が多すぎて、わからなくなる。

 

きっと、少しずつずれてしまっている気がするから、隙間から遠くを見て、耳を澄まして進んでいきたい。

余裕なんてないけれど、やるしかないのだ。

 

なんてことを書いていたら、この前のWIREDの編集長のことばを思い出した。

http://wired.jp/2017/01/03/needs-dont-matter/

 

そうそう。

今年の目標を立てた。

名をあげたい。ものを作る人として。

 

一度止まってしまうと、

本棚より重い一歩を踏み出すために

この文章を書いた。

 

今年も走っていく。

 

 

思い出の質量

2016年 12月30日

思い出の質量に触れた。

 

ここ数日、

来月に迫った引越の準備と一年間の堕落の清算を兼ね、部屋の大掃除をしている。

主に、汚れた床や水周りの掃除と、溜まった服の処分や収納である。

 

どうにも服が溜まってしまって、部屋中を侵食している。

そのうち実際着ている服は3割程度で、残りはほとんど着ない服ばかりである。2年以上袖を通していなかったり、数回来ただけの服だったり。

 

「こんな服あったんだ」

そんな服が何着もあった。

 

北欧風の総柄が入ったChaopanic赤紫のカットソー。

大学1年の冬に大学で仲良くなた友人と言った原宿で買ったやつ。

非常にダサいのだけれど、なぜか当時は格好いいと思ってよく来ていた。

 

幾何学がプリントされた毛玉が目立つ、HAREの5分袖のライトブルーのTシャツ。

高校生の時の恋人から誕生日にプレゼントしてもらったやつ。地元にはないショップのもので、ZOZOTOWNか何かで注文してくれた気がする。着こなせなかったけれど。

 

現代アーティストの作品が全体に敷き詰められたUNIQLOのTシャツ。

真夏のバイトで汗だくになって、これではデートどころではない、と待ち合わせ前に駆け込んだ新宿のUNIQLOで買った。その時見た映画は時計仕掛けのオレンジ。

 

アメリカのブランドのベージュのワークパンツ。

Choki Chokiの見よう見まねで買った、ワークスタイルのパンツ。似合うはずもないのに、3年くらい履いていた。今は品揃えがガラッと変わった地元のセレクトショップの右奥の棚で1時間悩んで買った。高校生のお小遣いでは少し高かったのだ。

 

 

なんて風に、僕は自分が持っているもの(とりわけ服と本とCD)について、いちいち面倒臭いことを覚えてしまう。

だから、中々捨てられない。

思い出を捨ててしまう気がするのだ。

あの頃の僕がどこかに消えてしまう。私の中からごそっと消えてしまう。

 

とはいえ、いつまでも溜め込んでいくわけにもいかないので、

意を決して、45lのポリ袋に服を詰め込む。

1度入れてしまえば、あとは簡単なもので、

どんどん詰め込めた。

 

 

私の思い出が詰め込まれた45lのポリ袋が2つ出来上がった。

持ち上げると結構重い。

 

これは、思い出の質量だ。

 

両手でやっと1つ持つことができる重さ。

思い出の質量としては妥当なのではないか。

 

 

ああ、ようやくやっていける。

そんな気がして、なんだか気持ちが軽くなった。

思い出を背負い過ぎていたのかもしれない。

街と記憶 - 中野

陽がすっかり短く柔らかくなったなあ、と思ったらもう11月だった。

あっという間に時が過ぎてしまうから、気を抜いてしまうと社会と時間に巻き取られてしまう。

 

そんなことを思いながら、夕陽の色をした電車に乗ることにした。

今日は元気が出ないから新宿は気がのらないし、今日は祝日なので、オレンジの電車はいつもの街を通り過ぎるから、1つ隣の街に行くことにした。

 

その街の喫茶店でこの文章を書いている。

商店街を抜けて、サンプラザを超えた先にある喫茶店。窓際には不揃いの陶器と草花が飾られていて、親戚の家のような感覚になる。けれど、カウンターはとても綺麗で、木の木目も味があるし、きちんと磨かれている。それから、珈琲は結構美味しい。このアンバランスさが、ごった煮の中野を象徴している。

 

しわがれ声の爺さんが、うるせえ声で、野球に一喜一憂している。一球ごとに態度が変わるから、頭が痛くなってくる。応援していたと思えば、次の瞬間にはけなしている。

一体何がしたいのだろう。いや、何もしたくないのだろう。循環していること、堂々めぐりは安心感がある。

インターネットの登場以来、情報が氾濫していると言われるけれど、現実の人間でさえこんなに情報量は圧倒的に多いのだから、気が滅入ってしまう。

ぐらぐらと揺らいでいく、そんな感覚。

 

話を中野に戻すと、わたしは中野という街へ訪れたことはそう何度もあるわけではない。スターバックスやケンタッキー、松屋などが乱立する都会地味た駅前は苦手だが、アルコールの匂いがする裏通りは好きだった。いや、アルコールの匂いがする裏通りにいられる自分が好きだったのだ、と思う。

だから、酒を飲んでいる記憶ばかり頭に残っているが、そういうわけでもなかった。街を歩いていると、結構な思い出があったことに気がつかされる。

 

忘れてしまいたい思い出ばかりだけれど、商店街の塗装みたいにしぶとくこびりついて、街の中に残っているのだ。しかも、その思い出は全部女の子がらみであって、何がか情けなくなる。

 

 

バンドが好きで、3歳年上の保育士の女に、唐突に振られたのは中野だった。

別に好意もなかったし、付き合っているわけでもなかった。だから、厳密には振られたという表現は正しくないのだけれど。酷い話だが、その頃は金がなかったので、なんとか生活費を出してもらえないか、と思いながら会っていた。

 

金は今でもないし、そんなぬるい考えが彼女に伝わって振られたのだとは思う。

 

その子は髪は肩と胸の間くらいまであって、毛先にゆるいパーマをかけていた。地味な顔立ちだけれど、目はきれいな二重で、歯並びが良かった。それから、すこしいい匂いがした。

 

その日は中野のロータリーで待ち合わせをしていて、私はバイトをしたまま向かったような気がする。冷たい雨が降っていて、「寒いね」なんて言いながら商店街を抜けて、その先の居酒屋まで歩いた。ちょうど今日と同じ道のりだった。

 

大して会話もはずまなくって、彼女がいつも口にするお気に入りのバンドの話を聞き流しながら、私は久しぶりのマグロを美味しく食べていた気がする。あのマグロは大きくて、美味しかった。そういえば、いつも二人でご飯を食べる時は、すこしだけ多めに注文をしてしまっていた。それからタバコを吸って、彼女の保育園の仕事の愚痴を聞いていた。

 

文章にすると味気がないが、私は彼女との何にもない時間が好きだったりもした。

 

帰り道はまだ雨が降っていて、1つしかない傘を半分コしながら歩いた。

「パンを焼くのが好きだ」と彼女は言うから、

「今度食べさせて」って私は言った。

 

返事がないから、何をしたらいいのかわからなくなって、当時吸っていたキャメルのブラックに火をつけて、傘の取っ手を眺めていた。傘の取っ手は、思っていたより複雑な円弧で、半円ではなかった。

「そうだね、でももう会えないかな」

彼女は小さくそう言って、ビニール傘の先を見ていた。それから、バスに乗って彼女は家に帰って行った。

 

パンが食べたかったなあ、と思って、電車に乗る気分になれなかったから、四季の森公園を一回りして、缶コーヒーを買った。あったかくて、すこしだけ悲しかった。

それから、電車に乗って家に帰った。

 

 

 

 

四季の森公園。警察署の跡地を整備してできた公園である。ちょうど、私が上京した年に完成した。ここはすごく落ち着く。そして、たくさんの思い出がある。苦くて大事な思い出が。それはまた今度書こう。

それから焼肉と、南口の駅から離れたコーヒショップのことも。

 

ああ、すっかり日が暮れて真っ暗になってしまった。

電車に乗って家に帰ろう。

 

 

ハロウィン前の私のこと

2016年10月29日

 

気がついたら10月が終わろうとしていて、

SNSではハロウィンの映像が流れてくる。

 

今日はとても寒くて、10月はとうに終わっていて、冬になっているんじゃないかって思えた。

マフラーを巻いているのは私だけだったから、冬は来てないんだろうけど。

 

そんなことを考えて家を出たら

電車を乗り間違えて美容院に間に合わなくなってしまった。

明日になってしまって、なんだか申し訳なくなって、反対の電車に乗ることにした。

反対の電車に乗っていると、景色だけは逆再生するから、美容院にも間に合う気がした。

 

そんなことはないんだけど。

 

 

頭の中には昨晩の酒と言葉が残っていて、

どうしても私は人の自意識と不誠実が苦手で、

すっかり綿の抜けたしわしわの布団にくるまって寝た。

冷蔵庫に入れっぱなしのピーマンみたいになってた。

 

ここ最近はなんだか自分の能力が不安になる。

私は本当は何にもできない呼吸器で、

なにも生み出せない機能不全の壊れた機械ないなのかもしれない。

 

一方で、何かを生み出した気になって

ニヤニヤしている人たちにはなんだか腹がたつ。

「お前らは何にもしていないだろう、恥を知れ」と。

 

そんなことが続いて元気がないから、せめて文章を書いてる。文章を書いて、「私は何かを生んでいるんだ」って、ニヤニヤするために。

 

 

 

蛸。

蛸みたい。

蛸は過度のストレスがかかると自分で自分の足を食べるそう。ストレス耐性がない。

 

私も私の欠片を食べて食いつないでいる。

 

 

 

Twitterのタイムラインに

ハロウィンの写真が流れてきた。

昨日の渋谷は人がいなかったらしいが、今日はそこそこ賑わっているらしい。

カルチャアの匂いはしないけど、人間の匂いがするから私は好き。元気があったら見に行きたかった。

 

我々は常日頃から仮装をしているから、毎日がハロウィンだろうけど。

本当の欲望じゃない表情・言葉を選んで皆が生きている。

 

寂しい、抱かれたい、行きたくない、やりたくない、見栄をはりたい、チヤホヤされたい、他人に羨望されたい、出世がしたい、むかつくババアを殴りたい、格好つけていたい、愛されたい、金が欲しい

 

うるさい

 

 

 

私はモテたいし、格好つけていたいよ。

 

 

悲しくなってきたからスターバックスに入った。あったかいカフェラテを飲んだら元気が出てきた。

 

寒いのはよくないね。

犬だと言われた。

 

荻窪スターバックスの店員さんが可愛かった。

 

コードを書こう。

なんかいいもの作れる気がする。

 

 

今日はいつだって今日なのだ

2016年の09月25日

生活の記録として

 

私が生活を始めたのが2016年の04月01日のことであるので,そろそろ半年が経過しようとしている.半年前何を考えていたのか,1年前何を考えていたのか,忘れてしまったような気がするので,こうやって文章を書いている.

 

こうすれば忘れることはない気がするから.

 

本当だろうか.

いや,きっと忘れてしまうだろう.

花瓶の水がいつのまにか随分と少なくなっているように,いつの間にか忘れてしまうのだろう.

それでも花瓶に水をいれることをやめるわけにはいかないのだ.

 

 

新世界リチウムというバンドの音源をさかのぼってきいた.

クリープハイプ尾崎世界観が尾崎1人でやっていた時にバックバンドをしていたそうで,それを知った4年前の僕は動画サイトで音源を漁っていた.

 

その頃の僕には大して刺さらなかったのだと思う.なぜなら,解散ライブまでその名前を忘れていたのだから.

 

そして解散することを2015年の僕が知ることとなる.2015年の僕はそれを音楽ナタリーか何かでみたのだろう.でもそれだけだった.もう一回音楽サイトで聞き返して聞いて,そのまま別のバンドでも漁ったのだろう.

 

不思議なことで,こうやって音楽を聴きながら文章を書いているとどんどん忘れていた記憶が蘇ってくる.ところどころ歯抜けになったビデオを逆再生しているような感覚.

 

解散ライブの頃は,とても好きだった女の子がいて,その子のことばかり考えていた.といっても,その子は僕ではない方を見ていたんだけれど.

今になって思うとよくそこまでその子のことを考えていたなあ,とさえ思ってくる.おそらくその子に影響を受けて髪を脱色したし,体重も少し減った.そんな時期だったから,製作とその子のこと以外を考える時間なんてなかったんだと思う.

 

 

今はそんなこともないが,それはそれで少しさびしい.

そろそろ新世界リチウムについての話に戻ろう.

2016年の僕はなぜだかふと思い出して,彼らの音源を動画サイトで聞いている.

人の興味なんてものの感度は不明瞭にもほどがあるので,新世界リチウムを今の僕は声をあげて素晴らしい,と思っている.

 


新世界リチウム「ヒューマニズム」

 

粗い.猛々しく粗い.

「俺はこの手で君を殺す」なんて伸びきった髪の男が歌い出すMVは狂気的.

どこかで聞いたことあるコード進行だし,大してイケメンでもない.

でも格好いい.1曲聞いた後に気力が湧いてくる.そんなバンドだ.

忘れてしまいそうになるけど,ロックンロールってこんな感じでいいんじゃないか,って,思い出せる.

 


新世界リチウム ひまわり

 

くだらなかったあの子のこともいつか忘れてしまうのなら 

なんか今日の記録の主題に似ていると,今この曲を聴きながら思った.

邦画で良く見る歩道橋を駆け上がって,コンビニ行って,アホらしくなって,布団に入って明日から仕事だってなんだってやれちゃう気がしてくる.

 

 

 

 

この動画は著作権に触れてしまうので,あんまり良くないけれど.

4月から生活を始めた人,もうすぐ生活を始めることになる人にとって,あの頃住んでいた駅でもう来るはずのない人を待ってみたり,押入れにしまった6弦を弾いて隣の住人に壁を叩かれたり,君に電話したくなったりしてしまうと思う.

 

 

 

朝起きたらきっとこの気持ちもほとんど忘れてしまっていると思うけれど,それでもまたいつかの僕がきっとこれを見つけて,そのときの僕が何かを思うんだろうな.

過去の記録

久しぶりに文章を書こうと思った。


昔の恋人に小説を書いたら、と言われたことを思い出した。
 
思い出すことばかりだ。
 
ありきたりな言葉で、ありきたりな表現をしてしまう僕に文章なんて書けるのだろうか。
今でもそこから逃げ回っている。
 
「そこから?」
 
「…全てからじゃないか」
 
丸2日つけはなしたままのテレビがそう叫んでいる。僕はゆっくりと、したり顔のコメンテーターを一瞥した。
 
短髪をワックスで立ち上げ、グレーのスーツを着ている。素材はウールだろうか。微かに混じる赤紫の色味が、高級さを匂わせている。
 
どうやら話題は貧困に関することらしい。
島国のどこか遠く果てしないところに確かに存在している貧しさについて真剣な顔で話すコメンテーター。
 
壮大な矛盾が積み重なってこの世界は成り立っている。
 
 
一昨日買った好きでもない銘柄のタバコも残り一本になっている。
 
「全てからじゃないか、か」
そんなことはわかっている。
 
ゴトン、と苦悩が打ち付けられる音がする。
また、か。
 
最後の一本にゆっくりと火をつける。
苦悩の音が大きくなる。テレビでは赤紫のコメンテーターが女性の活躍についてしきりに真剣な顔で話していた。