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サクブンチョウ

生活と音楽と物語と

流れるままに流されない

どれだけ降れば気がすむのだろう、そんな思いでベランダの外を見やる。

 

思えばこんなに雨が降っている秋は三年前以来なのではなかろうか。

そう思う自分の都合の良さに、思わず笑ってしまう。

 

いや、三年前のこの時期は晴れていた、か。

ピンク色のアイスクリーム屋さんがあった。まだ夏が残っていて肌がじっとりしていた。僕は汗っかきなので、そのたび少し申し訳ない気持ちになる。

 

自分の人生はよくわからないもので、いまの僕の姿を三年前のお前は想像しがたいであろう。自分のことを「大人」であると思い上がっていた三年前の自分がひどく子供であったことを最近ようやく自覚できた。

若さを少し失ってしまったけれど、そのぶん年相応になれたのかもしれない。

 

自分のことを「こども」だと言ってのけた、あの子は19歳の僕よりはるかに大人で、素敵だなあ、と心の中で思っていたんだ。

 

 

自分の大学が嫌いで、でもそこの環境はある意味で楽で、見栄っ張りで楽チンな方に歩みがちな僕はずるずると進んできたのだけれど、ちょっと脇道に逸れてみようと思っている。

大変なのだろうと思うのだけれど、意外になんとかなってしまうのではないか、と。

 

何かを選ぶことはすごく度胸のいることなのだけれど、自分が好きなもの・嫌いなもの、そして大事にしたいもの、それくらいでいいから自分で選んでゆきたくなったのです。

 

この決意が雨に流されてしまわぬように。

インターネットの片隅においておきたい。

 

 

それでは最後の質問です

クリープハイプは好きですか?

 

僕はクリープハイプがとてもとても好きなんですけれど、好きなバンドとして名前を出すと、「あっロキノン厨なんですね(笑)」「まだクリープハイプ聴いてるの(笑)」「しょーもな(笑)」的なことを心の中で浮かべながら、口からは「まあいいよね」なんて言葉が漏れて苦笑いされるのが最近の社会な訳です。

 

これもすべて、クリープハイプを聴いて歌詞とともに自撮りしたり、尾崎さん最高大好きかわいい、とか言い出したり、みんなで集合写真とったりしだした方々のせいなわけです。殺す。

ってかお前らそもそも音楽聴いてないだろ、カオナシの顔と歌詞カードと自分への憐憫とナルティシズムに酔ってるだけだろう。殺す。

 

 

まあ確かにハイトーンボイスで女々しい歌詞なので苦手な人はいるだろうとは思うけれど。彼ら、音楽で凝ったことしてたりするんですよ。そして歌詞がとんでもなくうまい。

とりあえず一曲聴いてみてほしい。

 


クリープハイプ「左耳」 - YouTube

 

ずっとそばにいたい あなたが好きよ 言葉は遠回りして 迷子になってバイト遅刻 

 

 左耳 知らなかった穴 覗いたら昔の女がいた あたしは急いでピアスを刺す それで起きて寝ぼけた顔して これくれるの? なんて聞いてくる 別にそれ もういらないし

この歌詞を読むだけで想像できませんか。20代の女の子、線が細くて、少し幸の薄い顔をしている女の子が、大して広くもない6畳程度の部屋で、出来たばかりの彼氏と一緒に寝ている、と。ずっと一緒にいたいけど、そんなこと言えるわけもなくて、もやもやばかりが溜まっていく日々。

そんな中、夜中にふと目が覚めて、彼の寝顔を愛おしく眺めていると、耳にピアスの跡を見つけてしまったと。私はつけているところを見たことがないなあ、わたしと出会う前にあけていたんだろう。その時の彼女とお揃いだったのかな、 なんてとりとめもないことを考えて、どうにもしようもなくて、消したくなって、「こいつは私のこの気持ちを何も知らないで」なんて思いながらピアスを刺しこむ。

 

これだけの情景がこの短い歌詞から浮かんでくるのだ、と。多少僕が妄想壁が著しいのを考慮したとしても、他愛ない日常でうかぶもやもやしたいじらしい感情を情景とセットで描くのがずばぬけて上手いんですよ。

 

いじらしくてもやもやした感情を普遍的な歌詞に昇華するのが上手い人として、僕が崇拝する峯田和伸がいます。

そんな彼の作った名曲の一つ、BABY BABYが月9で流れたらしいですね。

僕が中学校の時は月9でモンパチが流れて、中学校で大ヒットしました。夏休みが始まるまえ、僕は頭の中で「小さな恋のうた」を歌いながら、好きなあの子にメールアドレスを聞きました。結局メールはできなかったんですけど。そんな感じで、この曲も受け継がれてほしいなあ、もう一度、青い春の画材になってほしいなあなんてことを思います。

ちなみに、原曲はこれなので、こっちを聞いてください。


GOING STEADY - BABY BABY - YouTube

 

さて、クリープハイプに戻るんですけど、彼らはすごい繰り返しを多用することにお気付きかと。

たとえばこの曲。


クリープハイプ NE-TAXI live - YouTube

イントロから執拗にリフレインするギターリフ。そして、それと呼応して繰り返されるフレーズ。そしてリフの繰り返しのタイミングと詞の繰り返しのタイミングをズラしてくる。これで詞が強調されて脳に焼きつくんです。直接頭に爪痕を立てるように刻み込まれる。そしてリズム隊もベースがエモいフレーズ弾いてたり、良いんです。(リズム隊の知識とセンスがないので言語化できなかった。)

 

地下室TIMESでも言及してたけど、この手法を使ってたバンドといえばフラワーカンパニーズ。最高の一言です。聞いてくれる人が最近一人増えて嬉しいんです。

 

話を戻すと、アレンジもまた絶妙で。繰り返しが多いからこそ、きちんと遊んでいる。同じAメロでも、突如ベースがニュッと入ってきて、これまたエモいフレーズを弾いて行ったり、半音上げたリフにしてみたり、あえてコードは聞こえないように弱く弾いたり。ああ、きちんと考えて、何を表現したいのかってのを分かった上で曲作ってるなってのがわかるわけです。

 

これとかもすごく良いです。


クリープハイプ - 手と手 - YouTube

 

ちなみに最近もその手法というかスタンスは変えていない。その上で音作りが上手くなって、さらに歌詞に普遍性を持たせてきた。にくい。そりゃ売れるよ。

 


クリープハイプ - 「エロ」MUSIC VIDEO - YouTube

 

ここからは蛇足なんですけど、個人的には昔の方が好きでして。昔のすごく局所的な歌詞が、女々しくてなんとも日々をやりきるのがうまくできない人間にとってすごく共感できたってのが全てです。どうしようもないのに、這い上がれないあのもどかしさが描写されているのがすごく愛おしかった。

間違った また間違った でもずっとこうしていられたらいいな 君じゃないと 君じゃないと 意味はないのです

間違った また間違った でもずっとこうしてもいられないから 君じゃないと 君じゃないと 意味はないから

これはクリープハイプで僕が一番好きな歌の歌詞でして。心の裏側にへばりついて離れないんですよ。いつか再録してほしいな。

 

彼らはこのスタンスから離れること、つまりは局所的な人間描写から離れてもっと多くの人に聞いてもらえる普遍的描写をするよ、ごめんね。それでも着いてきてねってことを伝えた曲を最後にこの長くてまどろっこしい文章を閉じます。

敬遠してた人ももう一回聞いてもらえたら、と。

午前三時の研究室から愛をこめて。


クリープハイプ - 憂、燦々(ゆう、さんさん) - YouTube

 

女々しい男のスリーピース

昼寝をしすぎて眠れなくなっている。iPhoneが堕落した僕から熱を奪って、今にも発火しそうだ。

ブログで暇な時に曲を紹介しようと思います。


My hair is bad "彼氏として"

最近どんどん火がついてきている気がする。赤裸々だけど、緩やかに隠喩を用いているいやらしい歌詞が胸にくる、スリーピースバンドです。マイヘアーイズバッド。ハゲかよ。


この曲は、去年の冬に好きだった子と色々あった時に、池袋のユースホステルの一階、クソみたいな日本人と金のない外国人がタバコをくゆらせるコーヒーショップで1人で何度も何度も繰り返し聞いていた曲です。
端的に終わってる。

本当に赤裸々で情けないんですよ。歌詞。
できれば泣いて欲しかった、怒って欲しかった バレなきゃいいとか言うから バラしてやったんだ
灰色のパーカーを持っておいで 白でも黒でもない 心を隠してね
そばにいないようにすることで 近くにいられるとする魔法の距離感を 君は探していたんだね

ああ、私のコーヒーみたいな思い出ですが、コーヒーの苦さが美味しいように、僕はまた何度もコーヒーを飲んでしまうのでしょう。


これは最新の曲。これもまた赤裸々。
端的に言うと、彼女がいるけど新しく好きな人ができた、みたいな。まぁそれがもっと痛切に歌われてます。
鋭利なんですよね。剥き出しの刃なんです。

こういった歌詞が、メロディックコアとかポップパンクのメロディーに乗ることで余計突き刺さってくるのではないかと。


マイヘアをなんとなく聞いてるイケメンは僕は大嫌いですけど、死にたくなりながら聞いてるイケメンは好きです。

以上。

深夜一時の熱狂

脳内に焼きついて離れない表現に、1年前のandymoriのライブがある。

あれは恵比寿のライブハウスだった。薄暗い照明の中、彼らのアクトへの期待と解散してしまうことへの悲しみがフロアを包んで、いつものアクトの待ち時間とは違う、高校最後の文化祭のような、そんな時間が流れていた。

照明が落ちて、彼らがステージに出てきた。


詳細な記憶がそこからは無い。


めまぐるしく景色と音が変わっていって、ステージの上で音楽をする彼らがなんだかマボロシのように思えてきた。彼らの立ちずまいに迫力があったわけではなかったのに、どこか夢の中に空間ごと迷い込んでしまったかのような、そんな感じだった。原風景としての夏の終わり、のような。

ろうそくの炎は、消える瞬間に、人一倍強く燃え上がるという。

「ビートをくれよ、もっともっとビートをくれよ。」フロアの誰かが叫んだ。その声は恍惚と非痛が混じった叫び声だった。彼はそれに笑顔と、すごい速さで駆け抜けていくギターで応えた。「愛してやまない音楽を」彼らは、そして僕らも、奏でていたように思う。肉体を離れて、僕らは踊っていた。シンセミアを吸った時はもしかしたら、こんな感じなのかもしれない。


帰り道も浮いた足と頭で、僕らは渋谷へ行って、お酒を飲んだ。ああ、そういえば小雨が降っていたんだ。この季節、あの匂いがするたびに僕はきっとずっと思い出すのだろう。こびりついてこびりついて、感傷中毒の僕の耳元に語りかけてくるのだろう。

最高だ。